星と猫の数学

私を退屈から救いに来た、夢のヒーロー

ゲームには『終わり』が欲しい

コンシューマ機用のゲームではあまり見られませんが、フリーゲームやインディーズゲーム等では時折『終わり』の無いゲームが存在します。更にオンラインゲームやソーシャルゲームは基本的に『終わり』はありません。

『終わり』の無いゲームとは、例えば『生き残る事』がゲーム内の目的である場合です。キャラクターは生き残るために食糧を調達し、装備を整え、迫りくる脅威から身を守る。それがゲームの全てである場合、どうすればゲームが終わるかというと、プレイヤーが飽きるかキャラクターが死んでゲームオーバーになるかしかありません。

その『生き残る事』が困難な場合、それを目的に様々な攻略法を見つけ出そうとするのがゲームプレイのモチベーションになりますが、もし攻略法が見つかって『生き残る事』が簡単にできるようになったら? それでもゲームは続きます。続きますが、永遠に続けられます。

自分はこれが好きではありません。物語に起承転結があり、粗筋は終わりのために存在して盛り上げられ、話の終わりでカタルシスを感じるように、ゲームもまたプレイ中は『終わり』のために行動し、『終わり』を迎える事でカタルシスを感じたいのです。

ラスボスが存在する、あるいは目的地に到達するという『終わり』が欲しい。それに向かって突き進むためにゲームをプレイしたい。そこにモチベーションがあり、自分の中での区切りが出来上がる。

だから自分はオンラインゲームやソーシャルゲームが好きではない。いつまでも同じことを繰り返しているから。たとえ一時的な区切りをつけてカタルシスを迎えさせようとしても、その後にまだ続くのであればそれは『終わり』ではない。

『終わり』は必要なのです。永遠は必要ありません。

例外はあります

パズルゲームは他と比べて非常に少ない要素の中、どれだけスコアを伸ばせるか、どれだけ用意されたパズルを解く事が出来るかがモチベーションにつながるので、『終わり』が無くても(むしろ『終わり』が無いからこそ)楽しめます。

もちろん、こちらも安定してスコアを伸ばせたり次々と解く事が出来たりすると、途端につまらなくなりますが。